『PSYCHO-PASS サイコパス』とシビュラシステム:ミシェル・フーコーの監視社会論が問いかけるもの
『PSYCHO-PASS サイコパス』が描く理想郷の影
多くのアニメファンを魅了してきたSFサイコサスペンス作品『PSYCHO-PASS サイコパス』。この作品の根幹をなすのは、人々の精神状態を数値化し、潜在的な犯罪者を事前に特定・排除する「シビュラシステム」です。シビュラシステムが完璧な秩序と安全をもたらす社会は、一見すると理想的なディストピアのように映ります。しかし、その裏で個人の自由や倫理がどのように扱われているのか、私たちは深く考えさせられることになります。
本記事では、『PSYCHO-PASS サイコパス』の世界を、20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーが提唱した「監視社会論」という視点から読み解いていきます。作品の具体的な描写とフーコーの思想を結びつけることで、シビュラシステムが私たちに問いかける現代社会の課題を浮き彫りにします。
ミシェル・フーコーの「監視と処罰」とパノプティコン
ミシェル・フーコーは、その代表作の一つである『監獄の誕生 ─ 監視と処罰』の中で、近代社会における権力と監視のメカニズムを詳細に分析しました。彼が注目したのは、哲学者ジェレミー・ベンサムが考案した「パノプティコン」という監獄建築の構想です。
パノプティコンとは何か
パノプティコンとは、中央に監視塔があり、周囲に環状の独房が配置された構造を持つ監獄のことです。この設計の最大の特徴は、監視する側(監視塔)からは独房の内部が常に見渡せる一方、監視される側(囚人)からは監視する側が見えない、あるいは見えているかどうかが分からないという点にあります。囚人は、いつ見られているか分からないという状況に置かれることで、常に監視されているかのように振る舞い、自らを律するようになります。つまり、物理的な監視者が常に存在しなくても、監視されているという意識そのものが、人々の行動を規律する強力な装置として機能するのです。
フーコーは、このパノプティコンの原理が監獄に留まらず、学校、病院、工場といった近代社会のあらゆる施設に浸透し、人々を規律し、管理する「監視社会」を形成していると論じました。権力は、もはや絶対的な王や国家といった目に見える形ではなく、網の目のように社会全体に張り巡らされた見えない監視のシステムとして機能しているのです。
シビュラシステム:完璧なパノプティコンの実現
『PSYCHO-PASS サイコパス』のシビュラシステムは、フーコーが説いたパノプティコンの概念を極限まで洗練させたものとして捉えることができます。
1. 見えない監視と内面化された自己規律
作品世界において、人々は常に「サイコパス」(精神状態を数値化したもの)を意識して生活しています。犯罪係数が一定値を超えれば「潜在犯」とみなされ、隔離や処分の対象となるため、市民は常に自分の感情や行動がサイコパスにどう影響するかを気にかけ、意識的に健全な精神状態を保とうと努力します。これは、いつ見られているか分からないために自らを律するパノプティコンの囚人と、まさに同じ状況と言えるでしょう。シビュラシステムという巨大な「監視の目」は常に存在し、人々はその存在を意識することで、自ら進んで社会の規範に適応しようとします。
2. 匿名化された権力
シビュラシステムの正体は、作中で物語の重要な転換点として明かされますが、その正体が明らかになる前も後も、市民はシビュラの「声」や「判断」に従っています。このシステムは、特定の個人や組織が権力を握っているわけではなく、匿名化された、そして「公正」であると信じられているシステムそのものが、社会全体を統治しています。監視する側が誰であるかが見えない、あるいは集団的な存在であるという点は、フーコーが指摘する「権力の匿名化」と深く関連しています。
3. 身体と精神への規律
シビュラシステムは、単に物理的な行動を監視するだけでなく、人々の精神状態にまで介入します。犯罪係数が上昇すれば、それが精神的なストレスや衝動によるものであっても、社会からの排除の対象となります。人々は「良いサイコパス」を保つために、自身の感情や思考までも管理しようと試みます。これは、フーコーが論じた「規律権力」が、個人の身体だけでなく精神にまで深く浸透し、自己を形成する段階にまで及んでいることを示唆しています。
自由と秩序の狭間で
『PSYCHO-PASS サイコパス』は、シビュラシステムによってもたらされる「安全」と「秩序」が、個人の「自由」や「人間性」とどのように衝突するかを描いています。主人公である常守朱の葛藤や、槙島聖護が問いかけるシステムの欺瞞は、私たちに深い問いを投げかけます。
- 本当に安全な社会とは、どのような社会なのでしょうか。
- 個人の自由を犠牲にしてまで、管理された秩序を追求することは正当化されるのでしょうか。
- 見えない監視の中で、私たちは「私たち自身」でいられるのでしょうか。
フーコーの監視社会論を通して『PSYCHO-PASS サイコパス』を読み直すことは、単なるフィクションの世界を深く理解するだけでなく、情報技術が高度に発達した現代社会における「見えない監視」や「自己規律」のあり方について、私たち自身の足元を見つめ直すきっかけを与えてくれるでしょう。作品が描く未来は、決して遠い世界の話ではないのかもしれません。